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九州買取道中記

1月初旬、2015年になって1週間もしない時のことでした。
「映画フィルムが多数あるのだが、買取できますかね?」といったお電話がかかってきました。
その日は丁度、映写機の買取で都内に居たので、電話にでられなかったため、慌てて帰社。
折り返しのお電話をかけるとリストを送るのでファックスをくれるとのことでした。
1時間ほど待っているとファックスが送られてきました。
そこには500本を超える16ミリフィルムの数々。一部は手放されてしまったようですが、35mm版の「ぼくは五才」など幻の作品もありました。

場所は北九州でしたがすぐにOKの連絡を出し、翌週に出張買取が決定しました。
弊店は埼玉県北部の羽生市なので、車で少なくとも15時間はかかりました。
向かう道中の車内では、レアなフィルムがあればいいだとか、フィルムが酸化しすぎて車内が酸っぱい臭いで満たされたらどうしよう・・・。など期待と不安でいっぱいでした。
九州に到着するともう21時をすぎており、すぐにホテルへ入りました。





翌日お客様のご自宅へ向かいました。
家の一室をフィルム保管庫にしているのかな?と思いましたが、フィルム専用に離れがあり、そこでお仕事をされていたようです。
部屋に入るとずらりと並んだ映画フィルムの数々。もう圧巻でした。


棚には500本を超えるフィルムの数々、床には大型の業務用映写機、買取りにはなりませんでしたが、小型の35ミリ映写機もありました。
専門の業者様ということもあり、部屋には幾つか除湿機が置かれており、フィルムが傷まないようになっていました。
その御蔭もおってか、フィルムの状態はほとんどが酸化しておらずカラーもばっちり残っていました。
交渉を進めていき、値段は言えませんが、最終的に数百万円での買取りになりました。






買取り終了後、お客様のお話を伺っていると慰問の映写技師として満州に派遣されていたとのことでした。
当時はこういった映写技師の他に、旅芸人、芸者、料理人、床屋など慰問として軍人以外の民間人が戦地に行っていたようです。
戦争初期はまだこういった慰問の余力があったので兵士はかなり楽しんでいたようです。
裏付けるようにお客様のお話では、慰問で向かうと兵士達がかけよって来たりと大人気だったそうです。
その後、映写技師として各地を転々とされ、最終的にフィルム貸出として落ち着かれたようです。
落ち着かれたあとは、子供会などの上映会用にフィルムや映写機の貸出、映写技師として派遣されていたようです。
その証拠として上映会時のチラシも残っていました。



また、同時に業務用映写機も買取りさせて頂いたのですが、40Aも必要な上に、操作が難しいということで、ここで動作確認もさせて頂きました。
映写技師の方とあって、フィルムかけまでかなりスムーズな作業でついていくのがやっとでした。





その後、車に積み込むのですが、これがまた大変。
ハイエースと大きめの乗用車でお伺いしましたが、全て入りきらず一部をダンボールに詰め込んで宅急便で発送。
残りの分も積め込みましたが、かなりギリギリで隙間なく詰め込んでいきました。

帰社してから下ろしてみるとパレット3つでは収まりきらないなど多数の買取となりました